堺東駅近くの三国丘高校の正門を出て、けやき通りの方へ ほんの少し歩くと“池水浄”と書かれた遺溝があります。
旧天王貯水池は、堺市の山の手の閑静な住宅地、中三国丘3丁にあり、明治43年(1910年)堺市の上水道配水池として建設され、
昭和37年 (1962年)に至るまで、そのつとめを果たしましたが、浅香山浄水場 に役割を譲って、使用中止となったまま今日に至っています。
こうした施設の常として、貯水槽本体は土で覆われ、わずかに点検用の
通路への入口である煉瓦造の、小さな凱旋門風の構築物だけが、
一般市民の目にふれることができる状態でしたが、その古風なたたずまいが、周辺の住宅環境とマッチしたためか、通称“凱旋門”として、
付近住民
に親しまれてきたものでした。
設計者は不明ですが、大阪府が指導に当ったと考えられ、当時の大阪府
の技師が“凱旋門”意匠を担当した可能性もあるが、定かではありません。

(資料提供/森山浩行 衆議院議員)